「ささえ」の福田 2015年03月13日(金)
lia01.gif 200×186 4K 皆さん。もう、おなじみですね。
私たちは、誰でもみんな、全体で[一つ]のオモシロイ存在として、オモシロイ世界に住み、それぞれに、誰とも違う、自分らしい「決めつけ、思いこみ、感じこみ」のクセで選択した未来を、みんなで体験しているオモシロイ存在です。

お互いに助け合う体験が、この人生。
私は治療師を選択。特に、今・ここで、[一つ]として展開している「生命・意識の活き活き、活き活きした知恵と慈しみの働き」を活用して、皆さんのお役に立っています。そこで、自分を[意識屋さん]と呼んで、オモシロガッテいます。

私たちが、「生命・意識の働き」に、自分は、今、多くの人々のお役に立っている、あるいは、自分は、今、困っている人々を助けていると、自分で決めつけ、思いこみ、感じこむ選択をして、自分か、自分の面倒を見ている人たちの、この今の心身や生活への対応をハッキリと「目的」にしますと、[一つ]として展開している「生命・意識の活き活き、活き活きした知恵と慈しみの働き」が、私たちの潜在意識と、肉体を通して即座に働きます。オモシロイ。

私たちの、これまでの一切を記憶している潜在意識は、私たち一人ひとりの、たったこの今の呼吸、動作、感情で、生活の中の怒り、怖れ、不安、肉体の不調への対応を表現するのです。そこで、目的をハッキリさせて、どなたかが、どなたかの呼吸、動作、感情を、[どんな感じかな・・・」と、観じますと、オモシロイことに、その目的の所で、私たちを、瞬時の休みもなく生かそうとしている[一つ]の「生命・意識の知恵と慈しみ」が、みごとに働きます。

[観じる]とは、考えるのを一切止めて、ゆっくり、静かに、この今の肉体が感じている「呼吸、動作、感情」を、「じっくりと、観察している体験」です。このように、話にしますと、何だかわからないでしょうが、治療の時、瞑想会、講習会では、いつも、やってご覧に入れています。要領が分かれば、どなたでも、すぐにできます。

例を挙げましょう。自分が、家庭でも、職場でも、人から非難、批判、否定されますと、そのことが、どうしても頭から離れない、奇声を発する、机をたたいたり、ひっくり返す、頭をぶつけるなどの衝動にかられるクセを、自分の体験にしている人がいるとします。総ては、[一つ]として展開しています。その人は、過去に、自分や、人びとを査定して、非難、批判、否定する選択をしたので、それを、この今、自分の体験にてみているのです。

実は、この、なんともやりきれない体験が、生命・意識の、「祝福の治す働き」です。いいですか。この今の自分の体験から逃げない。この衝動体験をシッカリ受けとめ、過去に自分が選択していた自分の肉体の体験を[どんな感じかな・・・」と観じるクセをつけます。

このままで大丈夫です。たった今、[知恵と慈しみの働き」とともに、過去の自分の選択を体験したので、この体験が、自分ばかりか、他の人々も、心身ともに元気にしてしまうのです。私は、その方の、その衝動を非難、批判、否定しません。ひたすら、今の、この自分の体の動き、感情、呼吸を[どんな感じかな・・・]と観じます。具体的には、こうです。全身で怒りを感じ、両手で、顎を「支えて」立ち上がります。両眼をカッと開いて、ワーオと吠えながら、両肩を前へ回したり、うしろに回したります。こうして、「総ては一つ」として展開している[知恵と慈しみの働き]を、私が「支えた」のです。

私は、決して、自分や、人を治そう、ナオソウともしない治療師です。目的をハッキリさせて「私たちみんなの生命・意識」を支えて、その安心・安全・元気いっぱい・お互いの助け合いの体験という[知恵と慈しみの祝福の働き]に働いてもらって、元気を体験しているのです。


知恵と慈しみの活き活き・活き活きした働きの具体的な体験 2015年01月09日(金)
lia03.gif 184×200 12K 私の話は、簡単明瞭。理屈ではありません。また、架空の「物語」でもありません。
誰でも、私が提案する通りの「選択」をして生活しますと、私たちは、心身ともに、健康な日々を「体験」します。

私たちは、この今、総てが「一つ」として、永遠に存在して、「知恵と慈しみの活き活き、活き活きと働いているスバラシイ自分」が、その「スバラシイ自分」を体験するために、「時間と空間のある架空」の千変万化する地上で、一時的に、肉体を持ち、「個々の考える自分」が選択し、それを、みんなで体験する、あわただしい人生を生きています。

その架空の物語がオモシロイので、私たち一人ひとりは、何度も、何度も生まれかわって、それぞれに違う人生を「選択」して、みんなで、その選択を体験しているのです。

ここで、私たちとか、みんなといいますのは、あなたと私は違う存在と感じている「架空の自分」です。「架空」の「空」に注目しておいてくださいね。総てが「一つ」の「活き活き・活き活きした波動」の一部で、個として活動している働きが、私たち人間です。

そこで、この「今」は、「過去」の私たちの選択を、みんなで体験しているのです。
いいですか。私たちが選択して、その選択を私たちみんなが体験して、それを、みんなで、オモシロガルのが、この人生です。
その「選択」は、意識的にも、無意識的にも、私たち一人ひとりの自由な決めつけ、自由な思いこみ、自由な感じこみの「クセ」です。
多くの人たちは、自分が過去に、選択して、それを体験してきた、一人ひとりの「固有なクセ」を、みんなといっしょの、実際の体験にして生活しています。

「存在としての自分」は、いつでも真新しい「存在」です。私たちは、この「今」の体験がいやなら、この「今」、自分が、これから何を体験したいかという目的をハッキリさせて、それを「体験」するための新しいクセを、自由に「選択」します。
ありがたいことに、私よりも、2400年前のお釈迦さんも同じ話をしています。
私たちは、この世界に、肉体を持って、みんなで、困っている方々のお役に立とうとして、生活しているのです。私の言葉では、「世界中の人々の心身の健康のために」です。

お役に立つと言いますと、大層なことに聞こえますが。簡単。自分の自由な決めつけ、自分の自由な思いこみ、自分の自由な感じこみで、これから、自分が、どんな体験をしたいかという「目的」をハッキリさせたら、この今の肉体の感じ、感情、呼吸などを、「静かに観じる選択とその体験」です。「知恵と慈しみの活き活き・活き活きした働き」が、「目的」の「人」、「場所」、「出来事」で、活き活きと働いてくれます。どうぞ、この今こうして、自分が存在しているって「どんな感じかな・・・」と静かに観じましょう。


この今、自分の心身の感じをカワイイと観じる体操 2014年02月07日(金)
hukuda_zenshin.gif 100×200 7K 私が、昭和21年に卒業した小学校は、新潟県の加茂町にある北小学校です。その後、三条市の市立三條商業女学校の男子部に在籍していました。昔の話ですが、もし、覚えておられる方がいらっしゃったら、学芸会で花嫁御寮を、カワイラシク歌ったのは私です。その頃の女子生徒は、お休み時間になると、お手製のお手玉で遊んでいました。女生徒たちは、歌を口ずさみながら、いつもは、三つのお手玉を使っていました。時には、もっと数を増やして、その内の一つを、高く挙げたりしながら遊んでいました。カワイイ。

先日、体操をお教えしている時に、お手玉で遊ぶ動きが、多くの方々の体調不良に、密接に関与している頸椎の1番と2番。また、頸椎の7番、胸椎の1番、2番をゆるめて調整してくれます。そこで、左右の肩関節と左右の肩甲骨の動きがよくなります。また、お手玉は、骨盤と両膝をゆるめないとできないので、足関節、手足の指、両肘の使い方にもすこぶるよい体操になり、肺、心臓、腹空内臓器の働きが活発になります。

今では、自分の、心身の具合の悪いところを「ここ、ここ」と、ハッキリ指定し、そこを「目的」にして、この体操をすれば、快適な体験をします。また、「ある方」の、心身の具合の悪いところを「ここ、ここ」と、「目的」にして、どなたかが、「どんな感じかな・・・」と、観じながら、お手玉体操をすれば、「目的の方」は、元気になります。

80歳になった今、ハッキリと分かります。昔の女生徒たちは、みんなで、楽しみながら、自分たちの心身を健康にする、ごく自然な体操をしていたのですね。私は、お手玉をやったことがありません。でも、ナントカうまくお手玉をしなければ、というトラワレがないので、曲芸のような動きで、お手玉無し体操をやっています。

お手玉体操は、立ってやるのは当然。座ってやっても、寝てやっても、片足、片手だけでも出来ます。手足が不自由な方でも「どんな感じかな・・・」と観じながらやります。いいですか。力を入れてがんばらない、いろいろな考えにトラワレない、やり方にも、こだわらない。のびのび、ゆらゆら、ゆっくりと、楽しく動いて遊びます。

首を伸ばして、肘を張らずに、踵を浮かしてリズムをとり、両膝と骨盤をゆるめ、両膝は前後、左右に、開いたり、閉じたり、くっつけたり、離したりして、楽しく両手、両腕も、左右が上下に離れても、前後に離れても、小さく動かしても、大きく動かしても、斜めに離れても、大丈夫。頭の上で、耳の高さで、肩の高さで、両脛の前でも、うしろでも、左右が脛の前後になっても、両手が腰のうしろでも、踵のうしろでも、上体を右に回しても、左に回しても、背中側で、でも、いろいろと、自由自在にやってみてください。

お好きなリズムに乗って、1分か2分。頸椎を伸ばしながら、楽しく動いて遊びます。


コンピューターゲーム 2013年12月20日(金)
hukuda_face.gif 223×286 33K 私たちは、この今、同時に、過去、現在、未来の自分を生きています。私は、これを説明するのに、いつも、コンピューターゲームを例に挙げます。

例えば、新しい「福田高規の生涯」という、活き活き、活き活きしたゲームを手に入れたとします。これをセットしても、福田高規は、自分の一生を始めるという行動をしていませんので、まだ、「現在」という画面には、何も映ってはいません。自分が、キーを押すという行動を選択しますと、すぐに、「現在」が画面に現れ、同時に、自分の選択した「過去の体験」が発生し、その、自分が体験した過去は、全部記録されます。

さて、このゲームには、自分がまだ選択していない未来も、全部入っていますが、これから、自分が、どんな体験を選択するかを決めて、自分で、キーを押すという行動をしていないので、未来の自分は、まだ、現在という画面上には、登場していません。ここまで、よろしいでしょうか。

実は、私たち、一人ひとりは、コンピューターゲームマニアです。今までに、たくさんの「自分の生涯」という、活き活き、活き活きしたゲームを選択して、体験し、その全部が記録されています。当然、今生の、生まれてから、今までの体験も、全部記録されています。

人々は、自分の過去のいやな体験を、カルマとかトラウマと言って気にされますが、私は、この今の自分を、「福田高規、このままで、ホントにスバラシイ存在」と観じることによって、その全部を「ごわさん」にしています。そうしないと、この今の自分が、うっかりして、自分を含めて、人を非難、批判、否定する体験を選択しますと、過去の自分が、現在のゲームに参加して来て、未だに、「祝福」で「ごわさん」にされていない、非難、批判、否定という、嬉しくないキーボードを押してしまうので、自分のまわりの人々や出来事を巻き込んで、「現在」の人生が混乱するのです。いいですか。「この今の自分がスバラシイ存在」と分かると、過去の自分は嬉しいでしょう。

さらに、今生きていても、亡くなっていても、私を生み育ててくれた両親も、自分の育てた子供である私が、自分をスバラシイと感じているのは、嬉しいですね。これこそ、最高の親孝行です。

また。私が、まだ選択していない未来の自分を、この今、目的をハッキリさせて、こうして、「福田高規、このままで、ホントにスバラシイ存在」という体験を選択すれば、未来の自分は、活き活きして、自分が、これから体験する、「今の私が選択した目的の体験」のために、この今のゲームの中に立ち入って、キーボードを押し、現在の自分の体験に参加します。

私たち一人ひとりの選択とその体験は、自分ばかりではありません。「時空を超えた一つの生命、一つの意識の具体的な体験」です。その全部は記録されます。

こうして、私たちは、どんな時にも、一人ぽっちにはなれません。この今も、かって生まれてきた人、今生きている人、それに、これから生まれて来る人々といっしょに生活しているのです。みなさん、どうぞ、ご自分が、これから体験する目的をハッキリさせて、ご自分の今を祝福し、まわりにいる過去、現在、未来の、すべての人々を喜ばせてください。


ゆるめて、のばして上げる 2013年07月17日(水)
lia14.gif 184×200 5K 先日の瞑想会で、今、勉強している解剖学の本が、立って読む時に重いという話がでました。私の感じは、「エッどうして」です。私は、全身をゆるめ、両肘を降ろして、本を「どうぞ、どうぞ差し上げます」という感じを観じながら持ちますので、本は重くないし、心身ともに、疲れることもありません。

私は、若いときから、ずっと、持ち上げたり、担いだりする肉体労働者でした。重い物を持つのに、人に負けていては、仕事になりません。今は、もうすぐ、80歳になるので、重い物は持たないように注意しています。でも、肉体で、重い物を持つコツを体が知っています。ありがたいことに、若い時の体験は、ずっと生きていて、年をとっても働いてくれます。それが、皆さんに、いつも、いつも、「この今を、どんな感じかな・・・」と観じてください、と申し上げている基になっています。

このとき、私たちは、宇宙中の「知恵と慈しみの働き」を活き活き、活き活きさせたのです。私たちが、この今、自分を含めて、活性化させたい人、場所、出来事など、目的をハッキリさせますと、私たちの「どんな感じかな・・・」という観じは、確実に、目的のところで、活き活き、活き活き働きます。

私が身につけたコツは、膝をゆるめ、骨盤を動かし、両肘を挙げないで、首筋をのばして、顎を軽く浮かし、頭を動かさないで、この今の感じを、「どんな感じかな・・・」と観じて、その観じを、自分を通し、全身を使って、出して行かせる、選択をして、それを毎日行動する体験をすることです。この人生の全部は、自分の選択とその体験です。

重い物をナントカしようと、重いものの方に意識を向けないで、重い物を持っている自分の肉体の感じを「どんな感じかな・・・」と、観じて、その観じを、自分の肉体を通して出して行かせるのです。すると、どんなに重い人が、私に寄りかかっても、重いと感じることはありません。でも、寄りかかる人がいるのは不愉快ですから、そのように、自分の感じを伝えて、お互いに気持ちよく、いっしょに楽しく過ごせるような対応をします。

いいですか。この人生の諸問題への対応も、自分や、世界中の人々の心身の健康への対応も同じです。一般的に、人々は、この問題をナントカしよう、心身の健康をナントカしようとする選択をしています。同様に、自分が気に入らないことをする人がいたら、その人をナントカしようとします。あるいは、その人を、よく思うようにしょうと試みます。ということは、自分が、この人を、ナントカしなければならない人、その人を、自分がよく思わなければならない人。という選択をしたので、ナントカしなければならない自分に、いつまでもこだわりつづけ、そのコダワリが、自分の日々の生活体験になります。

で、私の提案。
四六時中、無条件で、「どんな感じかな・・・」と観じていたら、世界中の人々の心身が健康になり、世界中の人々が優しくなります。みんなでやりましょう。




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